ガーゼ

大人になっても少女で痛いの

わたしの死

 

苦しくて殺してやりたくて、でもどうしてもわたしは母親の人形でしかないから泣くことしか出来ない。わたしの好みややりたいことは否定され続けた。だからわたしもわたしのことを否定し続けなきゃいけない。どうしたってわたしは愛されたい子供であるから。知らない、そんなこと。母親の気持ちやご機嫌をどんなに知らないって言ってもわたしは感じなくてはいけない。わたしは人形だから。所有物だから。物だから。母親がいなければ良いって何回も何回も思っていた。そうしたらわたしの病気は無くなるのに。こんなにも苦しい人生は送らないでも良かったのに。苦しい。苦しい。苦しい。苦しくて悲しい。「あなたは優しい子だから」と言われ続けた。優しくなければいけなかった。わたしの性質はない。無くなった。わたしの全ては無くなった。存在は無くなった。なにかを選びたくても、母親の好みの中から選ぶことが当たり前になって、選びようがなかった。なにもかもいらなかった。母親の言う良いものはわたしにとって良いものではなかったから。母親の好みの趣味は最悪だったから。センスが悪いから。何かの真似でしかないから。とても怖いから。
もし、わたしに子供が出来たらとても怖い。わたしの子供に母親みたいにならないでと全て反対のことばかりさせてしまいそうで。だからわたしは死ななきゃ苦しさから出られない。ずっと一人きり。誰にも甘えてはいけない。それはそう母親が願ったから。そうあるべきと言ったから。
死にたい。死ななきゃいけない。いつまでもそう思う。逃げたくても逃げられない。死ななければ逃げる事は出来ない。

だからわたしはずっと死にたいんだよ。

gauze

http://nya-lion.hatenablog.com/entry/2016/10/15/175136

 

実はもう一個がいくえふめいだった

軽躁の日々

女の子3人でもってバンドをやっていた時期があった。メンバーは、わたしとわたしが当時やってたホームページで出来た知り合い2人だった。今みたいにブログ的なサービスがなかった当時、サブカルメンヘラ女子は個人のページを作って公開してたよね。多分ってゆうか絶対南条あやの影響。懐かし。

まあ2人を連れてクラブに行ったりしてるうちに「バンドやろうぜ」テンションになってしまった結果、メンヘラガールズバンド結成となり、オリジナルの曲なんかも作ったの。

問題はドラムの娘だった。結構可愛い上にメンヘラ気質の都合の良さも手伝って、ギターの娘が「ちょっとねー…」と、なり始めたんだよ。

わかります。実際3人ともまあまあ可愛いかったけども、その娘特別モテてたもんね。チヤホヤされるのに慣れてる娘ってゆうかね。そんで聴いてる音楽はV系で。彼氏もやっぱりV系で。しかも一向に叩けない。ギターの娘はUKとかUSのインディー、わたしはその頃なんかジャーマンプログレとかだったし。

楽しかったんだけどねー。女の子のスリーピースはダメだな。音楽性の違いとかもうそんなんじゃなくダメだな。

 

まさに今、そのギターの娘とラインで話してるんだけども、まだメンヘラだし「大森靖子最高かよ!」ってゆってた。

 

大人になっても少女で痛いの

 


おゝSiri!ヘイgirl!
大人になっても
少女、症状で痛がりたい

 

どうせこの世が見たくない
間違った眼鏡が痛くって、たくって
頭痛と吐き気と空耳で
どこへもいけない
なにもない

 

暴力とセックスだけあれば良い
愛って何か教わりたい
愛なき世界の眼球譚
おゝSiri、わたしは何処行ったの?
ヘイgirl、わたし少女で痛かった

 

耳の居る部屋

少女は夜に目を瞑る

赤くて細い、幼いわたし

 

視えない庭があって、入りたい箱もあった。どんなに聞こえる筈が無いと思っても、話し声はわたしに喋りかけているよ。わたしが遊ぶのは、いつだって庭の中だった。駆け回って、踊っていて、母親は優しかった。望む全てが仕舞われていた。わたしにはどうして母親がそんなに哀れみの表情をするのか分からない。

学校へ行っていても、わたしは庭の中に入った。眼のピントを外して、ぼんやりとした世界で。大好きな筈のお父さん。急いでテーブルの下に潜り込もうよ。

痛いとゆう感覚を無くしてしまいました。

先生達がわたしのこと嫌うの。

楽しいこと考えていたら、酷く怒られてしまうんだったよ。

死の身

最近わかったことだけど、結婚相手は自分のことを好きなわたしが好きだから、今のわたしはこうなったのだと思った。わたしには肉体しか無く、精神は勿論無い。感情は悲しさしかなく、さみしいと感じたことが無い。悪いけれど責任も無い。
わたしは幾らでも自分など殺せる。
そういえば、昔、そうゆう漫画を描いた。沢山の死んで行ったわたしの弔いの。わたしには自分が死んだことがわかる。わたしにはスティグマがある。今日、原宿に行って思い出した。わたしは此処でわたしに死んだ印をつけた。全てに決別し、 誰とも分かり合えない覚悟を決めた。忘れてしまってたね。沢山の死んだわたしの記憶があって、拾っては、また捨てる。わたしはわたしを必要でない。心はもうとっくに居ないから。昔の病院の先生はそれを言いたかったのかもしれない。
所詮の容れ物。ただの身体。
やっぱりわたしはどこにも居なかった。死んでいた。

結ぼれみたいに


無視されると発言権が無くなって悲しい話をします。


会話は無視されると成立しない。自由な発言が出来なくて一方に合わせっぱなしの会話はコミュニケーションではないと思う。無視されると存在を否定される感じがする。だから死ねって言われるのと同じ。親に死ねと言われたら自分の価値はないと覚えてしまう。

犬や猫は言葉が喋れないから非言語のスキンシップで甘えるけども、人間の子供の甘えるは言葉で伝えた感情を認めてもらう事だと思う。子供の甘えられないはつらい。話を聞いて?痛いんだと言っても聞いてもらえない事がわかっているなら壁にでも話した方がいい。わたしは「痛い」や「欲しい」や「つらい」が無視される事が「悲しく」てずっと自分に価値が無いから死にたいって思って生きてきた。感情はまず聞いてもらって肯定されないと解消はしないし、育たない。つまりスケールが無い。どのくらい痛いのかどのくらい悲しいのかが無い。共感することは出来ても程度には共感出来ない。悲しいかそれ以外しかない。
楽しいや嬉しいしか肯定されなかったら負を追求しなくてはいけなくなる。勉強しなくてはといって悲しい芸術しか追えなくなる。悲しいということがわからないから。自分が囚われ続けている悲しいという感情を飼い慣らす為に。

 

わたしにとっては視線は一番鋭い会話だから攻めている事と同じ。目は口程にモノを言うとおり怒られている気持ちになる。
ひとりっ子はまわりに大人しか居ないから空気を読まないと生きていけない張りつめた育ちをすると思う。喧嘩の絶えない家ならなおさらで、安心なんて出来ないから帰りたくない。

どんなに空気を読む事に長けて居ても、わたしは馬鹿だから相手の欲しい答えを選び取ることは難しい。衝動発言で何でも言っちゃうから割と怒られます。だからこそ言語のコミュニケーションが必要と思うの。勝手に勘ぐって先回りした答えは誤解だらけになってしまう。あなたはとても不幸なのよ気づいて無いだけと言われるとどうしたらいいのかわからなくなってしまう。価値観の否定は本当につらい。意志が死んでしまう。

 

わたしもちゃんと言語で伝えられるよう頑張ります。誤解がないように。