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ガーゼ

日々を泡沫にする為に

薬のこと

医学業界では

鬱が流行って、人格障害アダルトチルドレンが流行って、いま現在、発達障害が大流行している。もう少ししたら双極性障害辺りが流行り出しそうな気配だ。
これら精神病達の定義は曖昧なもので医者の派閥や勉強の幅で変わってくる。
世間では、医者を薬屋にするなんてとんでもない事だ!と、医者を崇拝する人間が未だ未だ多いけども、そもそも精神病になるとゆう事をもっと自分で掘り下げなくてはいけない訳で、その手伝いとして薬を選択することを医者とやっていかなければ治るわけがない。
精神病以外も同じだよ。
多かれ少なかれ皆が発達障害を持っているし、気分障害も持っている。バランスの問題なのだ。偏り過ぎてしまえば具合が悪くなる。
人生が一回しかないのならば薬も医者もいろいろ試してみるといい。自分の事を掘り下げていければ具合もちょっとはよくなるよ。

一人称

「わたしがもし男だとしても好きなのか」
過去に一度だけわたしを好きだと言った男の子に聞いたことがある。
答えは「それは難しいね」だった。それはそうなのだろう。彼にはわたしが女性にしか見えて居なかったのだから。
小学校高学年になるまで一人称に「わたし」を使う事が出来なかった。それまではきっと微かな自尊心を保つ為、誰に何を言われようと「わたし」を使わなかったのだろう。小学校高学年になり、わたしの微かな自尊心がいろいろな事で崩壊した時、わたしは初めて一人称「わたし」を使った。
それから10年くらい後になる。初めて男性を好きになる事が出来たのでその彼に聞いたのだ「わたしが男だとしても好きなのか」。
きっと彼にとっては下らない事だったかもしれない。だけど「難しい」は妥当な事なのだろうなと今でも思う。
FTMのわたしが男性にそのような問いをしたのは後にも先にもこれだけだ。

 

売春

わたしは中学生のとき、自分の意志で買い物をしたくて売春してCDを買った。
価値観が歪んでいるのかと思った頃もある。自尊心が無いと言われる。でもよく考えてみればどっちもそうではなかった。わたしはわたしの身体で仕事をして自分の意志で欲しいものを買っていた。他人も身内も、自分の身体をそんな風に扱うんじゃ無いよ。と言う。性を売り物にしちゃいけないよ。そう言う。しかしセックスというモノをわたしは神聖化できない。性欲は汚いモノなんでしょ?ねえお母さん。
矛盾の中で育ってきた。母親は今でもわたしのことを恋人か何かだと思っている。父親でなくわたしにだけ感情をぶつけてくる。わたしの貴女ならわかってくれるでしょう?と。
わたしにはわからない。わたしはそうゆう障害だよ。ヒトの気持ちに興味が持てない障害だよ。俗物を嫌悪してしまう病気だよ。
ずっとゴミ箱として育てられた。そういうもんだと言われて生きてきた。疑問符は無視され否定された。
買い物。母親と父親は財布が完全に別だったので母親は欲しいモノを買い、わたしは母親の趣味を強要させられてきた。わたしの欲しいものは全て「わたしは好きじゃ無いから」といわれ、欲しいものは自分の稼ぎで買いなさいといわれ続けた。
食事すら。仕事で夜遅くに帰って来るのでわたしはいつもおなかが空いていた。ひもじいという感情が凄く嫌いだった。わたしは動物性の脂が嫌いだったのに。きっと食べたくないものなんか沢山あったのに。海藻類もたくさん食べて今では甲状腺がダメになってしまった。食べたい時に与えられたことは無く、食べたくないものも食べることを強制させられていた。
欲求を全てコントロールさせられていた。
摂食障害自傷癖について母親は、わたしを悪者にする為にそんなことをするのでしょうと吐き捨てた。
わたしは母親になにをもらえたのだろう。
生きたいと思えない心と誰からも遠い性格、傷だらけの身体だったのだろうか。

罰ゲームなんかじゃないよ。

指で喉を押さえての嘔吐ではなく、自らの腹を殴って嘔吐していたらしいと知ったのは二十歳過ぎくらいに仲の良かったバンマンから聞いた話だ。

わたしは二十二歳よりも前の記憶が曖昧でうまく思い出すことができない。

当時通っていた病院の帰り道にしょっちゅう彼の家に寄って眠った。摂食障害で30キロ迄落ちたわたしはそれ以上に痩せなければという強迫観念で食事を全て戻していた。口にするものもカロリーの低いものばかり。低いのに戻すのだ。消化器が吸収してしまうことがこわい。終わりの無い飢えに発狂しそうになりながら。今のように情報も乏しく嘔吐のやり方も野蛮だったのだろう。腹を殴れば吐けると思ったのだろう。風呂場で腹を殴って洩らす呼吸を彼は聞いてきたのだろう。わたしを助けたいとでも思ったのだろう。わたしは彼に怒られる事は一度もなかった。すぐにいろんな所に飛び回ってしまうわたしをなだめて慰めた。

二十二歳の時、閉鎖病棟保護室で医者に「あなたは要らない。必要ない。」と繰り返され、わたしはわたしがわからなくなってしまった。

網目の先の空を見ては衝動に任せて歌を歌った。当時の友人が言ってくれた言葉を覚えている。

「人生は罰ゲームなんかじゃないよ。その歌声がヱイちゃんにはあるもの。」

 

 

やだ

勝ったことが無いから負けたことしかないから戦いたくないよ。

だから戦争反対って歌うんだ。

弱いものの立場にたったならそうだよ。戦いたいひとたちは味をしめているから。勝ったとゆう快感で他のことなんてどうでも良くなってる。勝った快感で犠牲者のことは考えられないだろう。

嫌いだよ。平等も糞もないこんな世界。死んだってわたし、なんの未練もない。

 

素人処女

一人っ子だし家庭は機能不全極まりないから全て自己補完するようになったししなきゃ生きられなかった。
自傷摂食障害がどうであるかわからないけど、依存症の根が深いのは一人でしか生きたことがないからだと思う。
思えば隠し事ばかりしていたし嘘ばっかりついていて、ほんとの事は第3者にしか言えなかった。一番に知られたくないのは両親である。悩みや恋愛や悲しい事は嘘ばっかりついていた。
つらい現状をインターネットで公開することで楽になることを発見したのが高校生の時だった。誰にも言ったことのない話やトラウマ的なものを日記としてホームページに載せていった。
わたしのことを本当に理解してるヒトはわたしのまわりには居なくてインターネットのヒト達がわたしにとったら理解者だった。否定もしないし。それはきっと今も変わっていない。
わたしがホームページを始めてもうひとつ変わったことがある。男性への依存だ。彼氏的なヒトが居ないのが苦痛だ。身体だけでも必要とされてないと自分が消えてしまう不安。親からは否定されることしか知らないから(とゆうより否定されることを学んでしまったから)他人からも否定されるとゆう恐怖しかない。なので自尊心は最低でだからと言って自分が自己不全だと気づきもせず本当に思っていることは口にすることなくデタラメばかり言う。そのうちに自分が如何にデタラメな行動をとっているのか全く気づかなくなる。感じて思う事と行動がちぐはぐなのだ。
自分の気持ちを無視するとゆうセルフネグレクトに陥って、でもわたしは生まれながらの表現者だったせいで絵を描く事でなんとかバランスをとっていた。誰にも理解できない絵を描くのは当たり前だった。ほんとの事を言いたくても言わせてもらえず、嘘の言葉を言わされる。これが大人の社会と云われてわたしには何一つ理解出来なかった。みんなの為に誰かが犠牲者にならなきゃいけないすごく不公平。こんな日本人は未だに人身御供をし続けるような野蛮な人種なんだって今でも思う。
わたしが夢も愛も捨てたのにはこうゆう背後があるんだ。誰かを犠牲にして夢を叶えたいだなんて思えないしそれならわたしは犠牲者で居てやろうって思った。
誰にもほんとの事は言わないし嘘ばっかりついてやろうって。
結局誰の事も信じられなかった。それにわたしを理解しようとしてくれるヒトが先ず居ない。誰にも話が通じない。キチガイだとゆってわたしを傷つけるだけだ。なのにわたしが恋愛だのとゆってすぐセックスしてしまうのはどこかでまだ希望を捨てきれてないからだろうね。そもそも恋愛なんて出来たことがない。わたしはヒトとセックスでしかつながったことがない。そんなんでもわたしにとったら両親よりは必要とされてるから上出来だった。売春だとかヘルスの客もお金をくれるし初めての時の強姦したヒトすらも「わたしを構ってくれた」という意識がある。今までの彼氏達に対しても愛された実感なんてなくて「わたしはセックスが上手にできるから」「付き合ってくれている」。でしかない。だとしてもわたしの「セックスが上手」の定義自体きっと間違っていて自己犠牲の上に成り立っている。
よくよく考えてみれば女にセックスが上手い下手などあるわけがないのに。あるとすればただ奉仕活動が上手いだけであって性「交渉」とは全くの別物であろう。云わばおだてる事をするだけ。のせて射精の手伝いを見守るだけ。なんていうか、ドS的なサービス精神だよね。
そんなこんなで男のヒトとまともにセックスしたのは小学生の時の強姦「してくれた」ヒトしか居ないのだ。(女のヒトはまた別)
そもそも不感症のわたしである。男のヒトをセックスの道具にしか考えられないのは異常なことではない。愛情に対してもそれはおんなじなのだろう。皆がわたしの事を指して「女性的でない」と云うが其処の感性だけが育たず鈍いのは環境のせいとしか考えられない。

「笑ってください。」と悲しそうに呟いた。

特殊な記憶だった。それが恋愛であったのか違うものであったのかわからない。発作に苦しむわたしに、あの子は一心に祝詞を唱えていた。呪いを掛けられた。

神道の彼と出会ったのはやはりインターネットで、当時わたしが作っていたホームページ上の掲示板だったと思う。やりとりがあって、後に初詣でもどうかとわたしの方から強引に誘い出した。正月の靖国神社は昭和のエログロナンセンス的な空気感が漂って興味深い。なんといえばいいのか、丸尾末広的であるのか。お詣りをしたときに彼は「なんて罰当たりな。ちゃんとお詣りをしなきゃあ駄目ですよ君。」と、わたしの適当な詣り方を叱った。初対面だったけれど、わたしもそれに突っ掛からずに「あっ、あっ、ご免なさい。」と教えてもらった通りにやった。

彼は活字中毒のアル中だったから、ほとんどビールとほんのすこしだけのアテだけつまんで頼む料理をわたしに食え食えと言った。わたしも当時はやせっぽちだったもんであまり量が食べられなかったのだけれども。

彼が一番に気にしていたのがわたしの病気のことであった。

発作の時間、彼は祝詞を唱えていた。信じられないけれども。バカじゃないかと思ったけれども。

「笑ってください。

悲しそうに彼は呟いた。

はーはーと荒い呼吸の中で、わたしはけっこう嬉しかった。彼なりだけども真剣に病気に向き合ってくれていると。

 

わたしたちは会わなくなったけれども彼の「貴女の才能が好きですよ。」という言葉を覚えている。