ガーゼ

大人になっても少女で痛いの

鉱物身体

〇〇女子だとかそうゆう言葉が流行る前、わたしは違う意味で鉱物女子だった。

きっと幼少期から透明なガラスの破片や真っ白い石ころみたいなものが好きだったのだろう。効果云々とゆう事はさて置き、わたしはパワーストーンが好きだった。綺麗で硬くて冷たく、美しいと感じた。その石がどうやって出来て行くのか、どの様な環境で作られるのか、どの様な意味付けがされているのかなど調べれば調べる程に、わたしは石にのめり込んで行った。

時を同じくして、わたしは食べ物を消化する行為をやめた。

元々あまり食べない方だ。習っていたクラシックバレエの所為で食べたい欲求があっても我慢が苦ではなくなっていた。食べても嘔吐するから平気と思っていた。消化前に吐く行為も馴染んでいた。最低限の量すら食べなくなって、体重は30kgを切って、摂食障害になった。

わたしは鉱物になりたくてなろうとしていた。

このまま骨だけになったら、綺麗で硬くて冷たくて美しいものになれるだろう。そうなれば誰にもわたしを傷つける事なんて出来ない。

しかし骨はボロボロになり、カリウム欠損と低血糖で身体はダメになっていた。見た目の美しさと引き換えに、強度が無くなってしまった。こんなのは意味が無い。簡単に傷つけられてしまう。そう思って、わたしはまた食事を摂り始めた。

結局わたしは鉱物にはなれなかった。

鉱物になれなかったわたしにはいつの間にか、とても強くて誰にも傷つけることが出来ない部分が出来ていた。

骨粗鬆症でスカスカになってしまった骨の間に空間が出来た。その空間はきっと誰にも傷つけることが出来ない気がした。

目に見える美しさを手放し、自己を確立出来た時だった。

気がつけばもうわたしは石に執着しなくなっていた。