ガーゼ

大人になっても少女で痛いの

身体を売ってはいけない理由

 

愛はお金で買えるの?

愛するひととしかセックスしてはだめなの?

セックスは売ることができるの?

 

中学時代からフラフラして家が無いって腹減ったと互いの合意のもとそんなことをずっとして暮らしている。いつの間にか結婚もしてしまって操を守らねばならない身になってすら「意味がわからない」なんてことがたくさんある。操ってなんだよ。

例えば人妻デリで働くことは不貞ではないらしい。金銭が発生するタイプのセックスは不貞ではないという。じゃあ金銭が発生しないのはなんなの。と考えたときに、彼氏なり旦那なりセックスする際「これってなんか損してる気がする」って思っちゃうのはメンヘラあるあるだと思う。そんで何より「愛なんて信じられないわ」と本気で思っちゃう。

なんとなく、売春したらだめ風俗の仕事だめって、育ってくうちに刷り込まれてるこの理由。

セックス=お金=愛

って思っちゃうからなのかなって思います。そんで運悪く彼氏なんかの趣味がギャンブルとか自分に興味がないものだったりすると最悪で、例えばわたしの旦那氏はゲームが趣味なんだけど、わたしがデリで稼いだお金をゲーム買うのに使ったとしたら

わたしとセックス=マリオカート=わたしの愛

みたいなやばい数式がガシャチーンと出てしまって、とりあえず死のうかなとなるってわけ。

しかもそれを中古に流そうもんなら自分の値段をハッキリキッパリ告げられる。客観的にだからさらにやばい。わたしって社会的に2980円なのかよ!的な。

売春はそうゆう訳でお勧めされない。親も先生もだめって言います。どうしてなのか答えをゆわないで、もっと自分を大事にしなさいとかぬかしおる。それより話が噛み合ってないのが気になってしまう。

わたしたちが「あいしてる」って言われる度にモヤモヤ矛盾を感じてしまう理由もきっと同じなのでしょうな。

 

 

 

淋しさの空白

淋しそうな女の子を見つけて手を引いて「おいでよ」ってゆうんだ

 

何処か遠くの白っぽい光っている方からやってくる淋しさみたいなものは、いつまで経ってもわたしの所へは来ないよ。真夜中のベッドの中で眼を開けたまんまでいたって何処か遠くのお話みたいなんだ。子供の頃の夕方のとても長い時間もいつだってぼーっとしている間に終わってしまっていたから。真夜中の猫おばさんのビニール袋のガサゴソゆう音で起き上がる。身体はクタクタなのに猫たちの集まる方へ耳を澄ますんだ。そうしたならわたしはやっと眠りにつく事が出来た。嬉しくて、とても安心な気持ちだったよ。

悲しみが来そうな不安な真夜中にはそうゆう事を思い出して「へーきだ」って思います。近くに動物たちの気配を感じて緊張をほぐすの。甘ったれた猫の声を聴くの。そのうちに悲しみはどっかへ行ってしまう様な気がするんだ。

感情がこちらへ向かってくるとほんとに不安でたまらなくなる。今でも。上手いこと避けて泣かないで済む様になりたかった。あいつらの真っ直ぐな勢いはわたしにはこわいよ。わたしのにおいが全くしないねと言われた日、わたしには一体何のことなのかわからなくなってしまった。消毒されたシーツ、おなかの空いている感覚、外の気温、自身の体温さえもわからなくなってしまった。どうしてわたしは泣いているんだろうね。と。

あの頃の空白をぼーっとした頭で想像する。たったの一人でわたしはどうやって生きていたのだろう。「淋しい」と発音する女の子の手を引いて笑った顔をする。わたしにはわからない感情を沢山放つ女の子たちのすすり泣く声がとても好きなんだ。

 

わたしの青春

解離性遁走してる時って一体全体何してるのかなって思います

憤慨する事は、25歳の誕生日にやめにしました。怒って喚いて蹴り飛ばしてぶっ壊してどうせ泣くんだから、悲しむだけで充分だ。

こうやって感情を無いことにしてゆくんだな。わたしは狡いのかも知れないね。甘えたいも愛しいも暴力も欲まで失くして、最後まで悲しみだけを大事にしてしまって。

でも気持ち悪くてゲロ吐きそうになる事もあります。ひとの手が、わたしに触れそうになるときに縮こまってゾッとしてるんだよ。中途半端の高くも低くもない音の、例えば自分の声みたいな波に、辟易し続けるの。「詰まらないよ。」そう言って。

テレビの真剣なニュースがどうしても好きになれなくて、「わるいひとなんかほんとはいないのに」って言う度「あんたはお人好しだね」って馬鹿にされる。

凶悪殺人事件の犯人を非難する声に同調する事が難しくて反論する。「なんにもしらないくせに」って泣きそうになって思う。

「どうしてこんな飾れないような絵ばっかり描くの?」って言われても、わたしにはどうしたらのかわからなくなってしまう。

 

 

嗚呼つまんないつまんないつまんないつまんないつまんない。

でも一体誰に言われたんだっけ?

 

痛みのスケール

母親がアスペルガーと気づいたのはつい最近だ。

父親といえばわたしが成人するまでは仕事人間だったし、一番大事な人はダウン症の弟だったもんだから、わたしの育児や躾をしたのはアスペルガーの母親だった。

母親は他人の気持ちがわからない。美的センスが極端に悪い。匂いや味に敏感で家の中は整理されて居なければいけない。家事も全てルーチン化されていないといけない。それでいて仕事依存だった。

仕事で出来ない家事を押し付けられてもわたしは「嫌だ」と言うことをこの家に住むならば言ってはいけなかった。仕事で疲れている母親には「辛い」「疲れた」「痛い」を言うと無視された。

わたしは一人っ子なので大人達の中で空気を読んで行動することを余儀なくされていたから我慢しなくては家に居ることが出来ない。

どんなに母親から父親の愚痴を言われても平気になった。

大切なことは母親だけには知られてはいけない。

身体の変化、不調、痛み、性別。あなたはこういう子だからと言われ、それに沿ってきても具合の悪さはどうしようもない。わたしが病気になれば、母親と父親がわたしを病院に連れて行く事を押し付けあって喧嘩してしまう。

骨折しても痛いと言えずにただ涙が出た。

わたしにははじめから、痛いと言う感覚は分からなかった。親に「痛いね、つらいね。」と言われて初めて痛みを自覚できるのだと言う。母親には共感する能力が無かった。先生曰く、わたしには痛みのスケールが無いという。

思春期には自分の好みを自覚して、その通りに行動した。それでも母親の好みでは無い為に「反抗的だ」と言われていた。

自傷癖の事については「傷口が見えるとわたしが傷つく」と言われた。わたしにはそれがどうゆうことなのかわからない。そもそも違う身体なんだし、わたしは痛くないし。

 

今でも髪型や服装に対して文句を言う母親。おまゆう。結婚して母親の異常さに気づけたので少しは楽になってきた。

さよならの分裂

共依存だのダメンズだのそうゆう話を聞くとき、わたしはいつも考える。駄目じゃない男の人って見たことない。駄目じゃない男の人って何処に居るんですか。むしろ駄目じゃない男の人ってゆうのが幻想かなんかなんじゃないか。もしかしてわたしが他人へ期待し過ぎてるのかな。
みんな、わたしのことを指差し「駄目だなあ。いつも駄目な人と一緒に居るなあ。優しいなあ。自尊心ないね。」って言います。
わたしはみんなに「何しても良いんじゃない?別にいいよ。なんもしなくていい。」って言います。
わたし、関わり合いが苦手なのかもしれない。ただのめんどくさがりなのかもしれない。でも愛されたいってゆうし色んなもの欲しい。
愛するのができないからそうゆうことゆうのかな。結局なんにもあげられないからかな。不思議。
先生は「自分で評価することが出来ないから相手によって自分を決めてるよね。」って言いました。
若いときに、愛された気もするし色んなものをくれた男の人は1人だけいました。
わたしは振られちゃったけども幸せだった気がする。若いから感受性も強かっただろうし、お薬もしっかり飲めてなかったし。思い出すことは難しいけども、その頃のわたしには嬉しいってゆう気持ちがあったよ。

色んなことを忘れてゆきます。ぼーっとして覚えてない事だらけになってきた。おとといの昼間は何をしてたんだろう。白のジャックパーセルは何処に行っちゃったんだろう。いっぱいのものがなくなっていく。思い出とかも人の名前も。複雑な道。気がつくと迷子になって泣いてしまうよ。なんでもないよって嘘がたくさん増えていく。おしっこがうまく出来ないからずっとトイレにいたい。

ほんとの本当って何かな。そんなの夢なのかもしれないよ。わたしずっと閉鎖病棟のまんまぼーっとしてるとかもあるかもしれない。ガッチャン部屋の中に居ても驚かないよ。美味しいってなんだろうってずっと考えてる。あんなに可愛い猫だとか犬は本物だろうか。全部が嘘にみえる。

わたしに聴こえる音楽。誰かに聴こえる声。違うもの。
正確な答えは1つもないの。
感情。さよならの夢を見た。

鉱物身体

〇〇女子だとかそうゆう言葉が流行る前、わたしは違う意味で鉱物女子だった。

きっと幼少期から透明なガラスの破片や真っ白い石ころみたいなものが好きだったのだろう。効果云々とゆう事はさて置き、わたしはパワーストーンが好きだった。綺麗で硬くて冷たく、美しいと感じた。その石がどうやって出来て行くのか、どの様な環境で作られるのか、どの様な意味付けがされているのかなど調べれば調べる程に、わたしは石にのめり込んで行った。

時を同じくして、わたしは食べ物を消化する行為をやめた。

元々あまり食べない方だ。習っていたクラシックバレエの所為で食べたい欲求があっても我慢が苦ではなくなっていた。食べても嘔吐するから平気と思っていた。消化前に吐く行為も馴染んでいた。最低限の量すら食べなくなって、体重は30kgを切って、摂食障害になった。

わたしは鉱物になりたくてなろうとしていた。

このまま骨だけになったら、綺麗で硬くて冷たくて美しいものになれるだろう。そうなれば誰にもわたしを傷つける事なんて出来ない。

しかし骨はボロボロになり、カリウム欠損と低血糖で身体はダメになっていた。見た目の美しさと引き換えに、強度が無くなってしまった。こんなのは意味が無い。簡単に傷つけられてしまう。そう思って、わたしはまた食事を摂り始めた。

結局わたしは鉱物にはなれなかった。

鉱物になれなかったわたしにはいつの間にか、とても強くて誰にも傷つけることが出来ない部分が出来ていた。

骨粗鬆症でスカスカになってしまった骨の間に空間が出来た。その空間はきっと誰にも傷つけることが出来ない気がした。

目に見える美しさを手放し、自己を確立出来た時だった。

気がつけばもうわたしは石に執着しなくなっていた。

 

 

 

サリンジャーのように

踊ることが出来なくなって

描くことも弾くことも困難になって

最後には言葉とゆう最も嫌いな文化しか残らなくなってから

 

他人との諍いを嫌い、皆が良くなる様にと世界平和をずっと夢に見て、わたしはきっと良い子だったのに、いつの間にやら自死という世界の終わりを望んでいる。

人間であることの憂鬱は、文化を否定されて始まってしまった。

16の頃にダンテを読んで「愛とは最も辛い事なのだ」とゆう刷り込みに真面目に反応してなお愛を享受してしまった。わたしは阿保だ。

本能など認められない。そんなものは本当に邪魔になってしまっていた。いつの間にかただの面倒事にしかならなくなった。

わたしは踊る為の身体が動かなくなって何をして良いのかわからない。その時から死がだんだんと近づくのを感じた。これが死というものと理解した。

割合と利口な子どもだったのだと思う。不都合を避けて日々を過ごしていた。素行が悪くても勉強はなんでも出来、走るのも速く、絵も上手く描けた。いじめにあうこともなかった。

この歳になって結婚してもそれは同じで何も変わっていない。

衝突を避けて本当を話すことをやめて仕舞えば平和だ。

自分の望む世界を捨て、夢も無くして、口を開くことをやめた。