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THIS is にゃーらいおん

ガーゼのつづきを

素人処女

一人っ子だし家庭は機能不全極まりないから全て自己補完するようになったししなきゃ生きられなかった。
自傷摂食障害がどうであるかわからないけど、依存症の根が深いのは一人でしか生きたことがないからだと思う。
思えば隠し事ばかりしていたし嘘ばっかりついていて、ほんとの事は第3者にしか言えなかった。一番に知られたくないのは両親である。悩みや恋愛や悲しい事は嘘ばっかりついていた。
つらい現状をインターネットで公開することで楽になることを発見したのが高校生の時だった。誰にも言ったことのない話やトラウマ的なものを日記としてホームページに載せていった。
わたしのことを本当に理解してるヒトはわたしのまわりには居なくてインターネットのヒト達がわたしにとったら理解者だった。否定もしないし。それはきっと今も変わっていない。
わたしがホームページを始めてもうひとつ変わったことがある。男性への依存だ。彼氏的なヒトが居ないのが苦痛だ。身体だけでも必要とされてないと自分が消えてしまう不安。親からは否定されることしか知らないから(とゆうより否定されることを学んでしまったから)他人からも否定されるとゆう恐怖しかない。なので自尊心は最低でだからと言って自分が自己不全だと気づきもせず本当に思っていることは口にすることなくデタラメばかり言う。そのうちに自分が如何にデタラメな行動をとっているのか全く気づかなくなる。感じて思う事と行動がちぐはぐなのだ。
自分の気持ちを無視するとゆうセルフネグレクトに陥って、でもわたしは生まれながらの表現者だったせいで絵を描く事でなんとかバランスをとっていた。誰にも理解できない絵を描くのは当たり前だった。ほんとの事を言いたくても言わせてもらえず、嘘の言葉を言わされる。これが大人の社会と云われてわたしには何一つ理解出来なかった。みんなの為に誰かが犠牲者にならなきゃいけないすごく不公平。こんな日本人は未だに人身御供をし続けるような野蛮な人種なんだって今でも思う。
わたしが夢も愛も捨てたのにはこうゆう背後があるんだ。誰かを犠牲にして夢を叶えたいだなんて思えないしそれならわたしは犠牲者で居てやろうって思った。
誰にもほんとの事は言わないし嘘ばっかりついてやろうって。
結局誰の事も信じられなかった。それにわたしを理解しようとしてくれるヒトが先ず居ない。誰にも話が通じない。キチガイだとゆってわたしを傷つけるだけだ。なのにわたしが恋愛だのとゆってすぐセックスしてしまうのはどこかでまだ希望を捨てきれてないからだろうね。そもそも恋愛なんて出来たことがない。わたしはヒトとセックスでしかつながったことがない。そんなんでもわたしにとったら両親よりは必要とされてるから上出来だった。売春だとかヘルスの客もお金をくれるし初めての時の強姦したヒトすらも「わたしを構ってくれた」という意識がある。今までの彼氏達に対しても愛された実感なんてなくて「わたしはセックスが上手にできるから」「付き合ってくれている」。でしかない。だとしてもわたしの「セックスが上手」の定義自体きっと間違っていて自己犠牲の上に成り立っている。
よくよく考えてみれば女にセックスが上手い下手などあるわけがないのに。あるとすればただ奉仕活動が上手いだけであって性「交渉」とは全くの別物であろう。云わばおだてる事をするだけ。のせて射精の手伝いを見守るだけ。なんていうか、ドS的なサービス精神だよね。
そんなこんなで男のヒトとまともにセックスしたのは小学生の時の強姦「してくれた」ヒトしか居ないのだ。(女のヒトはまた別)
そもそも不感症のわたしである。男のヒトをセックスの道具にしか考えられないのは異常なことではない。愛情に対してもそれはおんなじなのだろう。皆がわたしの事を指して「女性的でない」と云うが其処の感性だけが育たず鈍いのは環境のせいとしか考えられない。