ガーゼ

大人になっても少女で痛いの

結ぼれみたいに


無視されると発言権が無くなって悲しい話をします。


会話は無視されると成立しない。自由な発言が出来なくて一方に合わせっぱなしの会話はコミュニケーションではないと思う。無視されると存在を否定される感じがする。だから死ねって言われるのと同じ。親に死ねと言われたら自分の価値はないと覚えてしまう。

犬や猫は言葉が喋れないから非言語のスキンシップで甘えるけども、人間の子供の甘えるは言葉で伝えた感情を認めてもらう事だと思う。子供の甘えられないはつらい。話を聞いて?痛いんだと言っても聞いてもらえない事がわかっているなら壁にでも話した方がいい。わたしは「痛い」や「欲しい」や「つらい」が無視される事が「悲しく」てずっと自分に価値が無いから死にたいって思って生きてきた。感情はまず聞いてもらって肯定されないと解消はしないし、育たない。つまりスケールが無い。どのくらい痛いのかどのくらい悲しいのかが無い。共感することは出来ても程度には共感出来ない。悲しいかそれ以外しかない。
楽しいや嬉しいしか肯定されなかったら負を追求しなくてはいけなくなる。勉強しなくてはといって悲しい芸術しか追えなくなる。悲しいということがわからないから。自分が囚われ続けている悲しいという感情を飼い慣らす為に。

 

わたしにとっては視線は一番鋭い会話だから攻めている事と同じ。目は口程にモノを言うとおり怒られている気持ちになる。
ひとりっ子はまわりに大人しか居ないから空気を読まないと生きていけない張りつめた育ちをすると思う。喧嘩の絶えない家ならなおさらで、安心なんて出来ないから帰りたくない。

どんなに空気を読む事に長けて居ても、わたしは馬鹿だから相手の欲しい答えを選び取ることは難しい。衝動発言で何でも言っちゃうから割と怒られます。だからこそ言語のコミュニケーションが必要と思うの。勝手に勘ぐって先回りした答えは誤解だらけになってしまう。あなたはとても不幸なのよ気づいて無いだけと言われるとどうしたらいいのかわからなくなってしまう。価値観の否定は本当につらい。意志が死んでしまう。

 

わたしもちゃんと言語で伝えられるよう頑張ります。誤解がないように。