耳の居る部屋
少女は夜に目を瞑る
赤くて細い、幼いわたし
視えない庭があって、入りたい箱もあった。どんなに聞こえる筈が無いと思っても、話し声はわたしに喋りかけているよ。わたしが遊ぶのは、いつだって庭の中だった。駆け回って、踊っていて、母親は優しかった。望む全てが仕舞われていた。わたしにはどうして母親がそんなに哀れみの表情をするのか分からない。
学校へ行っていても、わたしは庭の中に入った。眼のピントを外して、ぼんやりとした世界で。大好きな筈のお父さん。急いでテーブルの下に潜り込もうよ。
痛いとゆう感覚を無くしてしまいました。
先生達がわたしのこと嫌うの。
楽しいこと考えていたら、酷く怒られてしまうんだったよ。
死の身
最近わかったことだけど、結婚相手は自分のことを好きなわたしが好きだから、今のわたしはこうなったのだと思った。わたしには肉体しか無く、精神は勿論無い。感情は悲しさしかなく、さみしいと感じたことが無い。悪いけれど責任も無い。
わたしは幾らでも自分など殺せる。
そういえば、昔、そうゆう漫画を描いた。沢山の死んで行ったわたしの弔いの。わたしには自分が死んだことがわかる。わたしにはスティグマがある。今日、原宿に行って思い出した。わたしは此処でわたしに死んだ印をつけた。全てに決別し、 誰とも分かり合えない覚悟を決めた。忘れてしまってたね。沢山の死んだわたしの記憶があって、拾っては、また捨てる。わたしはわたしを必要でない。心はもうとっくに居ないから。昔の病院の先生はそれを言いたかったのかもしれない。
所詮の容れ物。ただの身体。
やっぱりわたしはどこにも居なかった。死んでいた。
結ぼれみたいに
無視されると発言権が無くなって悲しい話をします。
会話は無視されると成立しない。自由な発言が出来なくて一方に合わせっぱなしの会話はコミュニケーションではないと思う。無視されると存在を否定される感じがする。だから死ねって言われるのと同じ。親に死ねと言われたら自分の価値はないと覚えてしまう。
犬や猫は言葉が喋れないから非言語のスキンシップで甘えるけども、人間の子供の甘えるは言葉で伝えた感情を認めてもらう事だと思う。子供の甘えられないはつらい。話を聞いて?痛いんだと言っても聞いてもらえない事がわかっているなら壁にでも話した方がいい。わたしは「痛い」や「欲しい」や「つらい」が無視される事が「悲しく」てずっと自分に価値が無いから死にたいって思って生きてきた。感情はまず聞いてもらって肯定されないと解消はしないし、育たない。つまりスケールが無い。どのくらい痛いのかどのくらい悲しいのかが無い。共感することは出来ても程度には共感出来ない。悲しいかそれ以外しかない。
楽しいや嬉しいしか肯定されなかったら負を追求しなくてはいけなくなる。勉強しなくてはといって悲しい芸術しか追えなくなる。悲しいということがわからないから。自分が囚われ続けている悲しいという感情を飼い慣らす為に。
わたしにとっては視線は一番鋭い会話だから攻めている事と同じ。目は口程にモノを言うとおり怒られている気持ちになる。
ひとりっ子はまわりに大人しか居ないから空気を読まないと生きていけない張りつめた育ちをすると思う。喧嘩の絶えない家ならなおさらで、安心なんて出来ないから帰りたくない。
どんなに空気を読む事に長けて居ても、わたしは馬鹿だから相手の欲しい答えを選び取ることは難しい。衝動発言で何でも言っちゃうから割と怒られます。だからこそ言語のコミュニケーションが必要と思うの。勝手に勘ぐって先回りした答えは誤解だらけになってしまう。あなたはとても不幸なのよ気づいて無いだけと言われるとどうしたらいいのかわからなくなってしまう。価値観の否定は本当につらい。意志が死んでしまう。
わたしもちゃんと言語で伝えられるよう頑張ります。誤解がないように。
身体を売ってはいけない理由
愛はお金で買えるの?
愛するひととしかセックスしてはだめなの?
セックスは売ることができるの?
中学時代からフラフラして家が無いって腹減ったと互いの合意のもとそんなことをずっとして暮らしている。いつの間にか結婚もしてしまって操を守らねばならない身になってすら「意味がわからない」なんてことがたくさんある。操ってなんだよ。
例えば人妻デリで働くことは不貞ではないらしい。金銭が発生するタイプのセックスは不貞ではないという。じゃあ金銭が発生しないのはなんなの。と考えたときに、彼氏なり旦那なりセックスする際「これってなんか損してる気がする」って思っちゃうのはメンヘラあるあるだと思う。そんで何より「愛なんて信じられないわ」と本気で思っちゃう。
なんとなく、売春したらだめ風俗の仕事だめって、育ってくうちに刷り込まれてるこの理由。
セックス=お金=愛
って思っちゃうからなのかなって思います。そんで運悪く彼氏なんかの趣味がギャンブルとか自分に興味がないものだったりすると最悪で、例えばわたしの旦那氏はゲームが趣味なんだけど、わたしがデリで稼いだお金をゲーム買うのに使ったとしたら
わたしとセックス=マリオカート=わたしの愛
みたいなやばい数式がガシャチーンと出てしまって、とりあえず死のうかなとなるってわけ。
しかもそれを中古に流そうもんなら自分の値段をハッキリキッパリ告げられる。客観的にだからさらにやばい。わたしって社会的に2980円なのかよ!的な。
売春はそうゆう訳でお勧めされない。親も先生もだめって言います。どうしてなのか答えをゆわないで、もっと自分を大事にしなさいとかぬかしおる。それより話が噛み合ってないのが気になってしまう。
わたしたちが「あいしてる」って言われる度にモヤモヤ矛盾を感じてしまう理由もきっと同じなのでしょうな。
淋しさの空白
淋しそうな女の子を見つけて手を引いて「おいでよ」ってゆうんだ
何処か遠くの白っぽい光っている方からやってくる淋しさみたいなものは、いつまで経ってもわたしの所へは来ないよ。真夜中のベッドの中で眼を開けたまんまでいたって何処か遠くのお話みたいなんだ。子供の頃の夕方のとても長い時間もいつだってぼーっとしている間に終わってしまっていたから。真夜中の猫おばさんのビニール袋のガサゴソゆう音で起き上がる。身体はクタクタなのに猫たちの集まる方へ耳を澄ますんだ。そうしたならわたしはやっと眠りにつく事が出来た。嬉しくて、とても安心な気持ちだったよ。
悲しみが来そうな不安な真夜中にはそうゆう事を思い出して「へーきだ」って思います。近くに動物たちの気配を感じて緊張をほぐすの。甘ったれた猫の声を聴くの。そのうちに悲しみはどっかへ行ってしまう様な気がするんだ。
感情がこちらへ向かってくるとほんとに不安でたまらなくなる。今でも。上手いこと避けて泣かないで済む様になりたかった。あいつらの真っ直ぐな勢いはわたしにはこわいよ。わたしのにおいが全くしないねと言われた日、わたしには一体何のことなのかわからなくなってしまった。消毒されたシーツ、おなかの空いている感覚、外の気温、自身の体温さえもわからなくなってしまった。どうしてわたしは泣いているんだろうね。と。
あの頃の空白をぼーっとした頭で想像する。たったの一人でわたしはどうやって生きていたのだろう。「淋しい」と発音する女の子の手を引いて笑った顔をする。わたしにはわからない感情を沢山放つ女の子たちのすすり泣く声がとても好きなんだ。
わたしの青春
解離性遁走してる時って一体全体何してるのかなって思います
憤慨する事は、25歳の誕生日にやめにしました。怒って喚いて蹴り飛ばしてぶっ壊してどうせ泣くんだから、悲しむだけで充分だ。
こうやって感情を無いことにしてゆくんだな。わたしは狡いのかも知れないね。甘えたいも愛しいも暴力も欲まで失くして、最後まで悲しみだけを大事にしてしまって。
でも気持ち悪くてゲロ吐きそうになる事もあります。ひとの手が、わたしに触れそうになるときに縮こまってゾッとしてるんだよ。中途半端の高くも低くもない音の、例えば自分の声みたいな波に、辟易し続けるの。「詰まらないよ。」そう言って。
テレビの真剣なニュースがどうしても好きになれなくて、「わるいひとなんかほんとはいないのに」って言う度「あんたはお人好しだね」って馬鹿にされる。
凶悪殺人事件の犯人を非難する声に同調する事が難しくて反論する。「なんにもしらないくせに」って泣きそうになって思う。
「どうしてこんな飾れないような絵ばっかり描くの?」って言われても、わたしにはどうしたらのかわからなくなってしまう。
嗚呼つまんないつまんないつまんないつまんないつまんない。
でも一体誰に言われたんだっけ?
痛みのスケール
母親がアスペルガーと気づいたのはつい最近だ。
父親といえばわたしが成人するまでは仕事人間だったし、一番大事な人はダウン症の弟だったもんだから、わたしの育児や躾をしたのはアスペルガーの母親だった。
母親は他人の気持ちがわからない。美的センスが極端に悪い。匂いや味に敏感で家の中は整理されて居なければいけない。家事も全てルーチン化されていないといけない。それでいて仕事依存だった。
仕事で出来ない家事を押し付けられてもわたしは「嫌だ」と言うことをこの家に住むならば言ってはいけなかった。仕事で疲れている母親には「辛い」「疲れた」「痛い」を言うと無視された。
わたしは一人っ子なので大人達の中で空気を読んで行動することを余儀なくされていたから我慢しなくては家に居ることが出来ない。
どんなに母親から父親の愚痴を言われても平気になった。
大切なことは母親だけには知られてはいけない。
身体の変化、不調、痛み、性別。あなたはこういう子だからと言われ、それに沿ってきても具合の悪さはどうしようもない。わたしが病気になれば、母親と父親がわたしを病院に連れて行く事を押し付けあって喧嘩してしまう。
骨折しても痛いと言えずにただ涙が出た。
わたしにははじめから、痛いと言う感覚は分からなかった。親に「痛いね、つらいね。」と言われて初めて痛みを自覚できるのだと言う。母親には共感する能力が無かった。先生曰く、わたしには痛みのスケールが無いという。
思春期には自分の好みを自覚して、その通りに行動した。それでも母親の好みでは無い為に「反抗的だ」と言われていた。
自傷癖の事については「傷口が見えるとわたしが傷つく」と言われた。わたしにはそれがどうゆうことなのかわからない。そもそも違う身体なんだし、わたしは痛くないし。
今でも髪型や服装に対して文句を言う母親。おまゆう。結婚して母親の異常さに気づけたので少しは楽になってきた。